日本の地方・経済・生き方を考えるブログ

東京生まれ東京育ちの都会っ子が、福井県に移住して、日本の地方・経済・生き方を考えるブログ

「WEBサイトをつくりたい」という依頼をそのまま受けるWEBサイト制作会社は危ない論

私が代表取締役を務める株式会社わどうでは、

「地域の未来を幸せに」

を企業理念として、地場の中小企業や自治体の新たな挑戦を、ミギウデとして日々伴走していっています。

その中で、事業の目的を達成するための手段としてWEBサイトを制作させていただくことが多々あります。

制作サイトは日々増えるため、どこかにある程度アーカイブしておきたく、一旦このnoteにまとめておきます。

 

わどうでは、

「とにかくおしゃれなサイトを!」

「とりあえずECサイトをもって商品売れるように」

という考えから始まりがちなクライアントに対して、

「そのサイトの目的は?誰に、どういうときに見てもらい、どう感じてもらい、どういう行動をとってほしい?」

ということを徹底的に詰めて(笑)、

その目的から逆算した戦略を立てて、適切なデザイン・機能のサイトを提案してつくります。

聞いてみると全然目的がふわふわしている場合も多いので、そういうときはそのクライアントの商品・サービスを客観的に見て、どこが光る部分かを探りながらWEBサイトの真の目的を一緒に設定します。

そうすると、自然とサイトが良い意味で尖ってきます。

 

逆に言えば、WEBサイトをつくること自体を目的化してはいけないと考えています。まだコーポレートサイトならば、存在すること自体に意味があるので良いのですが、何かしらのサービス提供のWEBサイトだと、真の目的を忘れているとまず使われないものになります。

そのような詰めの中では、そもそも載せたい商品や会社サービスの中身そのものへの改善提案をさせていただくことも少なくありません。(商品に課題点があると、いくらサイトで良く見せても厳しいので、そのあたりは容赦なくツッコませていただきます。)

 

単純な例えを一つ挙げると、

ガヤガヤ感が心地よくアットホームさが売りの大衆居酒屋が、単価の高いフランス料理を急に出し始めても売れるわけがないのと同様に、

そういった居酒屋がいくらおしゃれなサイトを作りたいからといって、まるで隠れ家的高級料亭のような洗練されたおしゃれなWEBサイトをつくってもおかしなことになってしまうのは想像がつくかと思います。

ここまでのことはさすがになくても、意外とこれに近いようなサイト制作の相談は多く、私たちはこういうときは全力でそのお店の客観的な良さを説いて詰めます、

「サイトつくって何がしたいのですか?そもそもそれってWEBサイトじゃないとダメなんですか?」と(笑)

実際、WEBサイト制作の相談をしてくるクライアントに対して、むしろWEBサイト以外の提案をすることも多々あります。場合によってはWEBサイトつくるより同じコストと時間をかけるなら新しいサービス形態を始める方が良いことだって全然あるわけです。

自分たちでWEBサイトをつくる意味をしっかり整理できているレベルの会社以外は、「WEBサイトをつくりましょう」という提案のみの制作会社に相談すべきでないと思っています。

 

わどうが制作するサイトには、それぞれのサイトの見た目などに共通する

「わどうっぽさ」

などは一切ありません。

わどうはデザイン事務所でなく、徹底的な戦略・企画パートナーだからです。

デザインはあくまで「手段」として捉えているので、短絡的なおしゃれさなどに固執せずそのお店・企業の本当の目的に寄り添ったデザインにします。

 

もしわどうがお手伝いできそうなWEBサイト制作があればいつでもご相談ください。

 

<わどうのWEBサイト制作一覧>

サンドーム福井 まるごとオススメMAP(鯖江商工会議所)

鯖江YEG HP(鯖江商工会議所青年部

さばえめがじん(鯖江市役所)

鯖江テクノロジー鯖江市役所)

井波木材HP

anq HP

G-NEXT HP

三六酒場まるこめ HP

神明白湯まるちゃんらーめん HP

テイクアウトにっぽん(自社サービス)

わどう HP

 

※お問い合わせは上記わどうHPから

転職16回! ある「変わった」女性の人生から考える、これからの生き方

 突然ですが、福井県の丹南エリアに生息する、とある変わった女性のことをみなさんはご存知でしょうか。この女性の名は「見延えり」。綺麗な容姿からは想像できませんが、彼女はかなり変わっています。

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写真:自身の人生を自然体で語ってくれる見延えりさん

 

 

 

 彼女の今までの転職回数は合計16回。ホテル、パティシエ、カフェ、雑貨屋、靴屋、服屋、レストラン、印刷屋、スポーツジムなど、履歴書には書ききれないほど数々の職歴をもっています。そこから現在はオーガニックのものなどを提供する古民家カフェ、ベビーマッサージ教室、チャイルドマッサージ教室、赤ちゃんのサイン教室、数秘リーディング、タッチカラーリーディング、手作りコスメワークショップ、パン教室などなど、ほとんどの人は聞いても「もはや何のことかわからない」ことを数々手がけながら、子育て支援団体である一般社団法人リフォメーションの理事も務め、自身も二人の子供を育てる得体の知れない女性なのです。

 

 私はあるご縁から彼女と知り合い、彼女の個性的な生き方の話を聞かせていただく中で、この時代のわたしたちの生き方、そして社会の在り方を考える上で大切な何かが見えてきました。今回はそれを書いていきたいと思います。

 

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写真:古民家カフェ準備中の様子

 

 

 見延さんの生まれは福井県鯖江市河和田町、3人姉妹の次女として誕生します。とにかく小さい頃から「変わってるね」「個性的だね」と言われ続け、人と同じことができない、したくない、そんな子供だったそうです。自立心が人十倍強く、幼少期から「自立したい」と思っていたほどの変わった子だったそうですが、保守的な考えの両親のもとで思うようにできずに歯がゆい思いもしながら育っていきます。一方で、活発な姉や妹とは違って体が非常に弱く病気がちでうまく眠れない、食べることも苦手で「私はきっと20歳まで生きられない」と自分で思うほどだったそうです。

 

 その後は中学・高校を無事卒業し、小学校の頃からお菓子作りが好きだった彼女はパティシエ養成の専門学校へと進みます。しかし自分にとって「これだ!」という生き方が見つからないまま、卒業後はあるべき自分を探し求めて苦しみながら、冒頭に書いた通りの職を転々としていくことになります。

 

 そんな彼女の一つ目の転機は結婚後に子供を出産したことでした。その子は自分に似て体が非常に弱く、3歳までに5回も入院するほど病院にかかってばかり。さらにその後産まれた二人目の子供はさらに病弱で、生後1カ月で風邪をこじらせて医者から「今夜が峠です」と言われるほど。子供二人ともが入院しながら迎えたクリスマスもあったそうです。

 

 病院での治療だけでは根本的な解決にならないと感じ始めた彼女はその子の根本的な体質改善を模索し始め、「自然治癒」に取り組んでいる人に出会い、そこから

「子供のこころやからだにとって、何か少しでも良いことをしてあげたい」

と強く思うようになっていきます。そして、子供が口にするものや身につけるものについて、からだにとって自然なもの、良いものにこだわっていくようになります。また、言葉を話せない赤ちゃんの気持ちを汲み取る「赤ちゃんのサイン」ということを学び始め、さらにそれを教え広めていく活動をするようになります。

 

 そのような中で、あるお客さんから子育て支援のための一般社団法人の立ち上げに誘われ、加わることになります。これが彼女の人生最大の転機へと繋がっていきます。彼女はこの団体の活動の中で、「数秘リーディング」(カバラ数秘術)というものに出会います。これは、その人の生年月日と氏名からその人が生まれ持つ「運命数」を導き出し、その数字からその人が持つ資質や人生の流れ・周期を知ることができる方法です。このように書くと初めて聞く人は「怪しい占い」と思うかもしれませんが、これは古代ユダヤの神秘思想に由来し統計学的な意味をもつものなのだそうです。

 

 例えば彼女がもつ数字には1,8,9が非常に多く存在し、それぞれ

1:独立自立、新しいことを始める

8:組織をまとめる、豊かさの象徴

9:全ての数字を含む高い次元の数字、許す、人助けの数字

という性質があり、こういった意味をもつ数字の組み合わせからその人の資質や周期が読み解かれます。

 

 初めて自分の数秘を見てもらった彼女の第一声は

「え?全然違います!これは私じゃない!!そんな訳ない!!」

と数秘リーディングしてくれた方を困らせるくらい否定しきるほどで、それほど彼女が今まで「あろうとした姿」と「自分の資質、自分らしさとして示された結果」は正反対のものだったとのことです。しかし否定したい気持ちはありつつも、それからその想定外の結果が頭から消えず意識するようになり、段々と

「私は今まで本来の自分とは正反対の自分を生きていて、自分を認めていないから反発して、苦しかった。こんな私でいいんだ!やりたいことやっていいんだ!人と同じでなくていいんだ!」

と思えるようになっていきます。彼女はこれをきっかけに、他の人ではない「自分らしさ」を否定せず受け入れることができるようになったのです。「それからすごく楽になった」と彼女は言います。

 

 その後「らしい」自分を大切にできるようになり「らく」になった彼女は、今まで否定していた自分らしいことにどんどん取り組み始めます。冒頭にも書いたオーガニックのものなどを提供する古民家カフェ、ベビーマッサージ教室、チャイルドマッサージ教室、赤ちゃんのサイン教室、数秘リーディング、タッチカラーリーディング、手作りコスメワークショップ、パン教室といった、現在の多様な活動に繋がっていきます。

 

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写真:見延さんの周りに集まる子供たち

 

 

 そしてこれら全ての活動は一見別々のものに見えますが、実はこのような人生を送ってきた彼女だからこその一貫した共通の軸があります。それは、「らしく、らくに」ということです。見延さんが取り組む前述の活動は全て、赤ちゃんのサイン教室やリーディングのように「こころをらしく、らくにする」ためのものか、オーガニックの食品やコスメ、マッサージなどの「からだをらしく、らくにする」ためのもののどちらかなのです。

 

 見延さんは下記のように話してくれました。

「こころにもからだにも無理がなく、できる限り自然に、楽にいる状態が大切です。こころとからだはつながっています。どちらかがだめだと、もう一方も辛くなってしまいます。」

「自分らしく生きられるかは周りからの影響が大きくて、抑圧されてしまうことがあるから、私は子供たちには自分らしく生きてほしくて、その子の個性を尊重したい。」

そんな彼女の病弱だった子供たちは、からだに触れるもの、食べるものをなるべく自然なものにして、その子らしいこころを大切にしていった結果、現在はほとんど病院にかかることもないほど丈夫に元気に育っているそうです。

 

 そして最近の見延さんは、鯖江上野田町に古民家カフェ&教室「ラシーク」の準備に大忙しで、先日9月23日に無事オープンとなりました。私も取材を兼ねて少しだけオープン前にお手伝いをしてきましたが、らしく、らくに生きる自然体な彼女を応援する多くの人たちが手伝いに集まっていて、みんながらしく、らくに過ごせる素敵な空間が着々と作られていっていました。

 

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写真:見延さんに共感し、手伝う人たち

 

 

 彼女の生き方は確かにだいぶ「変わっている」かもしれません。しかし、現在わたしたちが常日頃求められがちな「変わっていない」生き方がむしろ画一的過ぎて、わたしたちらしさを出せずに苦しくなってしまっているのかもしれません。彼女の場合はたまたま数秘リーディングというものをきっかけに無理をしていた自分に気づき、らしく、らくに生きられるようになりましたが、みなさんはいかがでしょうか。

 

 わたしたちが持つ様々な個性。それ自体に良いも悪いもなくて、それはあなた「らしさ」そのものです。その個性を否定せず、むしろその「らしさ」に適した「らく」な生き方を模索していくこと。そして親はもちろん、社会全体として市民それぞれの「らしく、らく」な生き方を受け入れて応援していくこと。それらが今求められている社会の姿なのではないでしょうか。

 

 

 最後に、見延さんが言われると嬉しい言葉は「変わってるね!」だということなので、ぜひみなさんも彼女に出会ったら「変わってるね!」と言ってあげてくださいね。

 

【鯖江の古民家カフェ&教室 ラシークの情報はこちらをクリック】

 

f:id:mitsuru326w:20170924124606j:plain写真:オープン前、多くの人たちの助けを得ながら準備する古民家カフェ&教室の前

なぜ「誕生日おめでとう」と言われるか

本日3/3に誕生日を迎え、27歳となりました。

関係者の皆様、たくさんの「おめでとう」をありがとうございました。

 

 

ところで今年の誕生日に急にふと不思議に思ったことがあります。

 

それは、「なんでこんなに『おめでとう』って言われてるんだろ」ってことです。

いやほんと、考えれば考えるほど不思議なんです。

 

 

昔は誕生日というとプレゼントもらうのが楽しみで、だから嬉しくて。

そんなんだからか、今までそんなこと疑問に思ったことはなかったんですが、段々プレゼントとかどうでもよくなり、むしろこれ以上歳とりたくなくなってきて、ふと今年そんな疑問にぶつかったわけです。

 

「誕生日おめでとう」って、一体何がそんなにめでたいのかなーって。

 

例えば「結婚おめでとう」は、誰かと誰かが家族になることを決めたことを祝福していて、
「就職・入学おめでとう」は、誰かが人生の次の選択を決めて進むことに対して祝福していて、
「○○受賞おめでとう」とかは、誰かが成し遂げたことに対して祝福していて、
要は全部「その人の選択や行動」を祝っている、讃えているので、なんとなくわかりやすいんです。

 

 

しかし、「誕生日おめでとう」って、自分何もしてないのに祝われるんですよ!不思議じゃないですか!!笑

 

なんでなんだっけなーーーと、今日、結構真剣に考えていて、結局のところハッと気づいたのは

「生まれてきたことを祝うのに理由なんてなくて、自分が生まれてきたことそれ自体が、自分の両親にとっても、他の多くの自分と関わってきてくれた人たちにとっても、誰がなんと言おうと無条件に大きな価値がある」

ってこと。

 

 

うん、そういえば前職の熱すぎる恩人もそんなことを言っていたなと思い出し、今さらなぜか再度納得。

 

そう考えると誕生日って素敵ですね。
誰でも平等に、無条件に、「生まれてきたことにおめでとう」なんですよ。

 

そういう意味では、「誕生日おめでとう」と言ってあげることって、きっと大切ですね。
大げさかもしれませんが、そのたった一言で救われる人はきっといるんだと思います。

 

 

とかそんなことを考えながら一人秋吉で贅沢な誕生日祝いをしていた2017年のひな祭りでした笑
あらためて、みなさまありがとうございました。

 

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「みんなが主役」の地域祭!福井・勝山左義長まつりがすごい

昨日初めて、奥越に春を呼ぶ奇祭と言われている福井県勝山市の「勝山左義長まつり」に行ってみました。

 

本当に「心浮き立つ」といった感じで、太鼓、笛、三味線などのおはやしが軽快なテンポで絶えず鳴り響き、日常を忘れて楽しい気分になれる素敵なお祭りでした。

 

↓↓↓撮影した実際の様子

 


勝山左義長まつり2017

 

 

 

このお祭りの特にすごいなと思ったところは、地域内の12地区がそれぞれ自分たちのやぐらをもち、自分たちの地区で演舞や露店などの催し物をしているところです。

 

つまり、12地区それぞれにそれぞれのメインステージ・見どころがあり、観客側からすれば祭り全体を見ようとするとひたすら全部回るしかありません。

 

これ、観光客側からすれば一見不便なのです、これら12地区も一見するとどれも同じような感じです。私も最初マップを手にしたときに「とりあえずどこに行けば良いのか」ということがわからず悩みました(笑)

 

しかし、回ってみるとそれぞれの地区の演舞が(多分)若干違っていたり、露店などの内容も違い、各地区の個性が出ている感じで想像以上におもしろかったです。

 

↓↓↓こんなやぐらが12基も、各地区にそびえ立ちそれぞれの地区の催しが行われているわけです!

 

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ちなみに私は、少し歩くとまた次の地区のお囃子の音が聞こえてくるので結果的についつい10地区ほどは回ってしまいました。(それぞれの地区は歩いて回れる距離感)

 

そしてついついたこ焼きやらなんやらの買い食いをし、射的などの縁日などをやってしまい、合計出費はかなりの額になっていた気がします(笑)

 

↓↓↓買い食いした焼き魚「アマゴ」(サケと同類らしい。昨日まで勝山で泳いでいたものらしく、絶品でした。)

 

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通常「イベントごと」というと、「ここがメイン」みたいな場所がある場合が多いと思います。「とりあえずここを押さえればOK」みたいなポイントがあり、そこを中心にイベント自体のPRがなされていたりと。

 

しかし勝山左義長まつりにはそういったものがなく、全地区が主役でみんながみんな自分たちで盛り上がろう!楽しもう!といった感じになっているのがすごいなと思いました。

 

ちなみに勝山左義長の演舞自体、舞台中心で太鼓を叩きながらおどる中心人物が代る代る入れ替わっていく様子からも同じように「みんなが主役」的な精神を感じとれます。

 

 

↓↓↓やぐらの中心の太鼓を叩いている人がどんどん入れ替わっていきます。

 

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この「みんなが主役」的な発想は、純粋に素敵ですが、簡単なようでなかなか難しかったりすることだと思います。イベントごとだとなおさら、来場者にとってわかりやすいもの、来場者が苦なくニーズを満たせる構造を求めがちですしね。

 

 

しかし「まつり」は本来、外からの来場者のためのものではなく、その地域の人たちのためのものであり、感謝や祈りのための儀式であるわけなので、それを無理に外部の人たち向けに変える必要はありませんよね。

 

その地域の人たちみんなが主役になって、自分たちのための儀式を滞りなく終わらせ酒や馳走を楽しみ自己満足できるようなハレの場であることの方が大切ですよね。

 

そして「ここがメイン!」ではなくて各地区それぞれが主役となって盛り上げているというのは、表面上だけでない地域の底力としてすごく大事なことなのではないかと思いました。

 

別に今の勝山左義長まつりの方々がその点を明確に意識してやっているわけではなく純粋に300年以上も昔から受け継がれている形を守り続けているだけなのだと思いますし、日本の、或いは世界の他のおまつりもよく見ればそのような精神なのだと思いますが、個人的にはこのおまつりがそんなことを考えるきっかけになりました。

 

自分自身も地域のための活動を考えるにあたって、このような精神を忘れずにやっていこうと思います。

 

 

↓↓↓勝山左義長まつりの公式解説動画

 


奇祭 勝山左義長まつり

 

 

余談ですが、勝山左義長の演舞を見てかつて少しだけ祭りのおどりをやっていた自分の血が騒ぎ、本気でこの演舞になんとか参加させてもらえないかなと思いました…(この地区の市民じゃないとダメなのかな…鯖江からなら練習通えるよな…)

 

 

 

勝山左義長まつりHP

www.city.katsuyama.fukui.jp

 

地方創生のヒントが、福井のめがねの創成期から見えてくる

 

福井はすっかり雪景色、「おしょりん」の季節です。

 

田んぼも畑も川も農道もすべてが雪で覆われ、その雪が硬く凍りつき、けっして割れたりしない状態を、この土地の人はおしょりんと呼ぶそうです。(最近は使われていない言葉なのかもしれませんが。)

 

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ちょうど大雪になったこの週末に、せっかくの機会なので前々からまとめたかったことを書きたいと思います。

 


現在、福井県のめがねフレーム生産量は日本全体の約95%を占め、世界最高品質として認められて世界中の高級ブランドなどからの生産委託(OEM)も受けています。

 


なぜ福井がそのような日本唯一・世界随一のめがね産地になったのか、それは今から110年以上前のある兄弟の想いと行動から始まっています。


増永五左衛門とその弟の幸八、二人は明治時代後期から懸命にめがねづくりに取り組みました。


その様子を小説として描いたのが「おしょりん」(ポプラ社・藤岡陽子 著)です。

 

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今朝あらためてこの「おしょりん」を読み直してみて、昨今声高に叫ばれている「地方創生」なるものを実現するのに必要な答えはこのおしょりんに、当時の五左衛門や幸八たちの想いと行動に詰まっていると感じました。

 


私には藤岡陽子さんのように読者の心に染み渡るような文章を書く力は無い上で、おしょりんとその他の当時の資料から見えてくる「地域産業・経済の活性化のために必要な条件」を7つ抽出し、まとめてみたいと思います。

 

 


条件1,想い ~ どうすればみんなが良くなるか

五左衛門が福井でめがねづくりを始めた理由は、「儲かりそう」などといった考えからではなく(もちろん結果的には儲からなければいけませんが)、「なんとかふるさと生野の暮らしをよくできないものか」という自分の村の人々を想う気持ちからでした。


もともと増永家は旧足羽郡麻生津村生野(現・福井市)で代々「庄屋」を務める旧家で、五左衛門も何不自由なく育ちました。

 

27歳のときには周りから推されて村会議員にも選出され、この小さな村をどうにか良くできないかという考えが離れなかったのかと思います。

 

というのも、当時この村は戸数が36戸、田畑は17ヘクタールで、冬になると雪に埋もれて農業もできない貧しい村だったのです。


実際、五左衛門の長男の妻は後に義父のことを
「身内が言うのもなんですが、父は村の方々の暮らしが少しでもよくなるのならと思ってめがね作りを手がけたといっていました。みんなが幸せに暮らせるようになるためには、家に閉じ込められる冬場に利益のあがる手内職が一番だと考えていたようです。」
と語っています。


また、五左衛門より10歳下の幸八は16歳のときから自ら東京へ出て、その後は大阪に移り、様々な仕事を手がけていました。そしてその後に織物やめがねづくりなどの案をわざわざ故郷に持ち帰り、実行のために熱心に兄を説得したという話からも、長男のような立場にはなかったものの「自分のふるさとを発展させたい」という強い想いがあったことが推測できます。

 


このように、村を、まちを想う強い気持ちがあることが、まちを発展・活性化させるための最も重要な原条件であることは間違いないかと思います。
「自分が儲かる」などといった次元の想いではないのです。

 

実際、五左衛門たちは自分たちだけであれば十分な蓄えをもって食っていくことに困らない状況だったにも関わらず、あえて私財を投げ打って村の継続発展のための賭けに出で、めがねづくりを始めたのです。


口だけの人ではなく、このような本物の想いをもち自らの全てを賭けて行動に移せる人物がいてこそ、地域の発展が起こりうるのではないでしょうか。

 

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条件2,状況 ~ 逃げ場のない苦境から

実は五左衛門はめがねづくりを始める当時、非常に苦しい状況に立たされています


まず背景として、明治6年(1873年)に明治政府が実施した「地租改正」により地主は政府に米ではなくお金で税(地価の数%)を支払わなければいけなくなります。

 

これは政府の税収を安定させる一方、農民からすれば豊作・凶作に関わらず一定のお金を払わなければいけないため、米価や収穫量次第では支払いが困難になります。つまり、安心の生活を確保するためには農業以外の貨幣獲得手段を得ることが必要になってきます。


そのような社会状況の中、明治31年(1898年)、大阪から帰省した幸八の勧めにのる形で五左衛門は当時盛んになっていた絹織物の工場をつくり、「福井羽二重」を手がけ始めました。最初はこの羽二重工場によって、農業だけが生業だった村の将来の安全を担保しようとしたのです。


しかし、そもそも明治30年代から日清戦争特需後の反動により日本経済が不況に見舞われており、さらに明治33年(1900年)、福井で2000戸以上を消失させた大火事(福井大火)があり、焼失などにより機屋は相次いで倒産し、そのあおりも受けて五左衛門の工場も閉鎖せざるをえなくなりました。


そして福井の村々からも徐々に、地元に職が無いため村を出て待遇や生活条件が悪かろうと東京や大阪に移っている人の話が聞こえてくるようになります。(近年の地方の状況と同じですね。)


このような、事業の失敗により財産の多くを失い、かつ、そのまま待っていても村の衰退は目に見えている状況の中で、五左衛門と幸八は村に産業を作るべく危険を承知でゼロからめがねづくりに挑むのです。

 

 

ここからわかるのは、新しい活気ある地場産業はすでに満たされた人たちからではなく大きな困難に直面している人たちから生まれるだろうということです。


それはある意味当たり前のことかもしれませんが、違う言い方をすれば、もし今全国の多くの地方が同様の困難に直面しているのならば、それは先人たちも通ってきた道と捉え、苦しくても新しい産業への挑戦や現在の産業の改革などに挑むよりほかは無いということです。

 

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条件3,誇り ~ 真摯な姿勢と妥協なき追求を

五左衛門たちのめがねづくりは、本当にゼロから始まります。

 

福井のどこにもめがねづくりの技術など無いところから、明治38年(1905年)にまずは大阪の知人に頼み込んでめがね職人を福井に引っ張ってきます。これが福井のめがねづくりの始まりです。

 

そして死に物狂いで技術を習得し、なんとその職人とは3年契約だったにも関わらずわずか半年で技術をほとんど習得してしまいます。この最初に習っためがね枠は真鍮(しんちゅう)という銅と亜鉛の合金を素材としており、巷では比較的安価なもので取引されていました。

 

ここで五左衛門たちは、作れるようになった真鍮のめがねをたくさん作って売り込んでいくのではなく、より高品質で高値もつく赤銅(しゃくどう・銅と金の合金)のめがねづくりに挑戦し始めました。新たに赤銅めがねを作れる職人を引っ張ってきて、驚異的な早さで技術を習得していったそうです。

 

そしてなんと、当初は東京で作られためがねこそ良いものであり高級品と言われていた状況から、明治44年(1911年)に内国共産品博覧会で1650点もの応募の中から上位5点のみに与えられる有功一等賞金牌を獲得したのです。


ここに至る過程においては、後述する「帳場制」などの制度的取り組みもありましたが、根本には「他から馬鹿にされることのない、最高のものをふるさと生野でつくる」という誇りがありました。

 

それ故に、作っためがねを何度となく大阪などのめがね取り扱い店に持っていき、当初はそもそもほとんど受け取ってもらえなかったり、受け取ってもらえたとしても製品に対して大量の付箋(修正点の指摘が書かれている)がついて返品されてくる中で、それらを一つ一つ修正していって品質の向上を追求したのです。

 

このように単に傲りとしての誇りではなく、真摯に素直に相手に耳を傾けて改善を重ねていきました。また、単なる東京や大阪のめがねの真似をするわけでなく、自分たちが誇りを持てるより良いものを求め続けたのです。その結果が内国共産品博覧会の結果でした。

 

こうして、自分の地域に真の誇りをつくっていったのです。

 

 

私は、このような姿勢から新しい活気ある産業が生まれると思います。人真似ではなく、自分たちが最高のものを作るんだという想いであり誇りを持つ人たちが何かに真摯に取り組んでこそ、一時的なものでなく長期に渡る地域経済を支える産業が築かれるのだと思います。

 

 


条件4,調和 ~ 内と外、慎重さと大胆さ

五左衛門と幸八、この二人の性格は真反対だったそうです。

 

五左衛門は熟慮断行型で、増永家の当主であり村の屋台骨ということからも軽率な物事の判断はせず、慎重に、大きな責任感をもって物事を判断し、腰を据えて物事に取り組んでいったそうです。

 

一方で幸八は、16歳の頃から単身大阪に飛び込み様々な事業に取り組んだり、最初は大阪で織物を思いつき兄に強く勧めて実行させて、次はめがねづくりを思いつき同じく兄に強く勧めて実行させたりと、非常に自由奔放、大胆で、先見性を持ち、大阪を中心に交遊関係も手広く持っていたそうです。

 

そしてこのような二人だったからこそ、福井のめがねづくりという産業としての成功を成し遂げることができたと言えます。


幸八が外から面白いもの、新しい考えを見つけてきては、五左衛門がそれを冷静に判断し、責任をもって継続的に実行していく。

 

幸八が外で各方面に広くめがねを売り歩き、五左衛門が福井内で必要な資金繰りをしながら工場に問題が起きないようにどっしりと座って管理しておく。

 

このような役割分担が見てとれます。


要は調和(バランス)です。どちらに偏ってもうまくいかない、その絶妙な調和が増永兄弟の間にあったのです。

 


翻ってみて、現在の各地域で取り組まれている地域活性化活動はどうでしょうか。新しくて面白いアイデアを、熟慮することなく打ち上げ花火のようにとりあえずお金を使って勢いだけでやってみて、その後のことは誰も責任をもたないというようなことにはなっていないでしょうか。はたまた逆に、新しい考え方を受け入れることを完全拒否して何も改革の無い状況にはなっていないでしょうか。


要は調和です。自然にこの調和が保たれれば問題はありませんが、そうでないならこの絶妙な調和を忘れることなく意識しなければ、無責任な行動や取り組みがその地域を疲弊させるか、何もしないことでその地域を衰退させるかのどちらかです。

 

 


条件5,仲間 ~ 一蓮托生の友

五左衛門と幸八には、想いを同じくする一蓮托生の仲間がいました。五左衛門たちが必死に口説き落としてめがねづくりに取り組んでもらうことになった職人たちです。

 

例えばそのうちの一人であり発足当初からの仲間である増永末吉は腕の良い大工として評判でしたが、大工仕事を捨てて福井で最初のめがねづくり職人となりました。

 

他の仲間たちも同様に、海のものとも山のものともわからないめがねづくりに自分の一生を託したのです。それは彼らの働き方にも表れていて、彼らは「徒弟奉公」として非常に厳しい働き方をしました。

 

今からではとても考えられませんが、朝7時から夜7時までめがねづくりに励み、お昼休みは30分間、休日は毎月15日だけで、その他は正月とお盆、および祭日のうちの年2回だけしか休めなかったそうです。

 

さらに奉公には3種類あり、通勤するものは3年、住み込みは5年(食事も支給される)の契約で、途中で辞める場合には「掟」に定めてある損害金を払わなければいけませんでした。つまり、この仲間たちは半端な覚悟で加わってきた人たちではなかったのです。


これはもちろん五左衛門たちの熱い想いがあったからこそではありますが、このような厳しい状況かつ未だ不確実な職であることを承知で運命をともにする仲間を作ってめがねづくりに挑んだからこそ、福井でめがねづくりが花開いたのです。

 

五左衛門たちは当初から「とりあえず自分たちで作って始めてみる」ということではなく、仲間の重要性をわかっていたのかもしれません。このような仲間がいたからこそ、五左衛門や幸八は自分たちの役割に集中することができたのです。

 

 

現代の地域づくりにおいても、言うまでもなくこれは重要なことでしょう。本当の意味で地域を良くするには、生半可な意味の仲間ではなく、本気の、文字通り一蓮托生の仲間をどれだけ作れるかが成否を左右します。

 

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条件6,競争 ~ 切磋琢磨

五左衛門たちの工場は、単に仲間意識だけでめがねづくりを行なっていませんでした。それがよく表れている制度が「帳場制」です。

 

帳場制とは、親方(リーダー)を数人立て、その各親方の下に職人や徒弟(メンバー)を複数人置き、そのそれぞれの帳場(グループ)が親方の指導のもとでめがねづくりに取り組むというものです。そして各帳場はその出来高に応じて手間賃をもらえるので、各帳場ごとに製造技術を競い工夫するようになりました。


さらに、定期的に工場二階で「品評会」を開いて各帳場が腕を奮っためがねを並べて比べ合い、他の帳場のものまねなどせず各自の技、製品を競い合いました。


このような競争の風潮の中で脱落する仲間もあったそうです。しかしこのような取り組みから、工場内の仲間でも単なる馴れ合いの仲間としてではなく競い合う相手として自然と切磋琢磨し、結果的に福井のめがねの品質を飛躍的に高めて新製品も生み出していったそうです。

 

 

地域の産業を活性化させる上で、このような競争の文化をつくることは非常に重要だと思います。潰し合う相手ではなく、互いを高め合う相手です。


各種の地域創生の取り組みは、ある種の公的性質ゆえにともすれば単なる自己満足的結果に終わってしまってしまうかもしれません。ですが、本当に地域を潤す経済的成果を出せる取り組みにまでしようとするならば、五左衛門たちが行なったように厳しい競争の要素を取り入れなければいけないのでしょう。

 

 


条件7,教育 ~ 仕事は人、人は教育

五左衛門は村の准教員の経験をもっていました。その経験からか、「仕事は人である。人を作るには教育。」という信念を持ち、工場二階に一日おきに夜間学校を開いて仕事後の午後8時ごろから二時間ほど、先生を招き徒弟たちに勉学の機会を与えていました。そのおかげで徒弟たちは高等科終了程度の学力を身につけることができたといいます。


このようなめがねづくりの技術向上とは全く関係のない取り組みから、五左衛門は人を単なる従業員として見ていたわけではなく、その人の人生そのものに大きな責任を持ち、できる限りのことをしてあげたかったのだと思います。

 

その後多くの職人たちが五左衛門のもとから円満に独立していくことができたのも、職人たちを自分の会社の利益を作る資源として見ていたのではなくそれぞれの人生の幸せを願っていたからこそなのだと思います。


そしてそこで育った人材たちが福井のめがね産地の屋台骨になっていったからこそ、今日めがね産業が地域を支えるまでになったのです。

 

 

一会社、一事業の繁栄を考えるのであれば、もしかすれば人は「使うもの」として効率よく扱っていけばよいのかもしれません。

 

しかし、もし地域全体の繁栄を考えるのであれば、そこにその人のその先を見据えた教育は間違いなく必須でしょう。あくまでそれはその会社や事業のための教育ではありません、「その人自身のための教育」です。


地方創生を望むにあたって、それを支えるのは最終的には様々な「人」です。明日や一年後に結果が見えてくるものではありませんが、その人にとっていつか役に立ち、そしてそれがまた地域全体を支える力になるものとして、人を大切に育てる仕組みや機会を各種取り組みの中で意識的に作っていくべきでしょう。

 

 

 

 


以上、長くなりましたが7点、あらためてまとめると以下です。


1,想い ~ どうすればみんなが良くなるか
2,状況 ~ 逃げ場のない苦境から
3,誇り ~ 真摯な姿勢と妥協なき追求を
4,調和 ~ 内と外、慎重さと大胆さ
5,仲間 ~ 一蓮托生の友
6,競争 ~ 切磋琢磨
7,教育 ~ 仕事は人、人は教育


皆さんの地方創生活動に上記7つはありますか?欠けているものはありませんか?

 

もちろん、上記7つが必ずしも正解、必要十分条件であるかはわかりません。
しかし、五左衛門と幸八がこのめがね産地をつくり「地域を創生」した一つの事例として、上記7つの要素があったことは間違いありません。

 

 

さて、そのような五左衛門や幸八たち先人が築きあげてくれたこのめがね産地は、現在大きな危機を迎えています。

※参照

mitsuru326w.hatenablog.com

 


私自身、上記7つを常に忘れることなく、産地のためにできることを実行していきたいと思います。

 


ちなみにめがね産地のことが気になってきた方はぜひこちらのサイトを参照ください。

www.japanglasses.jp



 

 

福井で雪を見ながら、おしょりんを読みながら、五左衛門と幸八が立ち上げた「増永眼鏡」のめがねをかけながら、そんなことを考えている週末でした。

 

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皆さんもぜひ、生の地域おこしが詰まった小説「おしょりん」を読んでみたらいかがでしょうか。
そのような意味を抜きにしても、ふと涙が出てくる心に染み渡る小説です。

 

おしょりん(amazon)

 

 


<おしょりん以外の参考文献>
福井県眼鏡史(非売品・大坪指方 著)
・めがねと福井 産地100年の歩み(福井新聞社・土岡秀一 監修)

 

 

結局、良いめがねを買うには良いめがね屋と出会えるかどうか

今年は12連休という長い冬休みをいただき(職場の皆様ごめんなさい)、長期で東京に帰っています。

 

 

 

せっかく時間が多くあるので、前から一度ちゃんと見てみたかった仕事の延長で知り合いになった東京・自由が丘のめがね屋さんにお邪魔してみました。

 

■リュネット・プラス(東京都目黒区・自由が丘)↓↓↓

 

lunettes-plus.com

 

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なかなか普通の店では置いていないような総量の少ない厳選ブランドが数多く置いてあり、日本製のめがねも多いです。

 

取扱いブランド↓↓↓

商品紹介 | Lunettes Plus

 

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さて、今日書きたいのはそこの日本製(福井製)めがねが良いだとかそういう話ではなく、

【めがねを買うときにはちゃんとしためがね屋と出会えるかどうかが非常に大切】

ということです。選ぶめがねそのものの質が良いか以前の問題として。

 

 

 

今回リュネットプラスさんで、「ここは素晴らしいめがね屋だ!!!」と感動したと同時に私自身も勉強になったポイントがいくつかあります。

 

 

 

 

その1

「メンテナンスが神対応!」

 

来店時に私がかけていたセル枠のめがね(リュネットプラスさんで買ったものではない)について、店員さんからご提案いただき無料で見ていただき、洗浄はもちろんのことより良いかけ心地のために調整をし直してもらったのと、だいぶ使い込んでいた結果全体的に傷やくすみが出てきていた所を店内のバフ研磨でピカピカに磨き直してもらえました。

 

繰り返します、ここで買っていないめがねです、無料です。

(ちなみに修理や、その人に合わせた鼻パッド部分の修正も対応してくれます。)

 

 

結果、まず見た目について買った当初同様(むしろある意味それ以上に)セルのきれいな艶がしっかりと戻ってきました。(ちなみに磨き直してきれいな艶が戻るものはそのめがね枠が元々しっかり磨かれている証です)

また、元々私が所有するめがねの中でもかけ心地が良かったものがさらに完璧になりました。

 

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やはりめがねはかなりの頻度で長時間かけるものなので、メンテナンスが大切です。

単にめがねの洗浄くらいであれば(セルフの洗浄サービスなど含めて)やっているところは多いですが、長期間快適に見た目も良く使い続けるためにはそれ以上のしっかりとしたメンテナンスが必要です。

 

 

めがねは買いっぱなし、使いっぱなしではだめなんです。

生活の一部になり、生活を支えているものでもあるわけです。

 

何か良い例になる他の製品はないかと考えてみましたが、めがねはなかなか特殊な位置づけのものなので例えが見当たらないですね、しいて言えば「髪」とかに近いかもしれないですね。製品ではないですが。

定期的に洗ったり、傷んだら修復する必要があります。そしてその人の見た目をも大きく左右しますし。適切に整えていないとなんか不快感があったりしますしね。

 

 

リュネットプラスさんは自分たちが売ったものかどうかなど関係なく、

「めがねを使う人たちを支える整備士」

という気概を持ってやっていらっしゃるお店でした。

 

 

 

 

その2

「作り手のこだわりや技術・想いを知っている、語れる!」

 

これは私が現在仕事をしている「めがね産地」にも大きく関わるポイントですが、リュネットプラスさんは自分たちが仕入れて扱っている製品について、そのめがねフレームの作り手がどういう人たちか、どこにこだわっていて良さ・特徴があるかということをしっかりと把握されていて、私が手に取ったフレームについて一つ一つ本当にきちんと説明してくれます。

 

経験上、これができるめがね屋は意外に非常に少ないのです。

 

なんとなくぱっと見てわかるデザインのポイントや売れ筋は教えてくれても、特に量販店などではそれ以上のことは全く語れません。

 

 

リュネットプラスさんは本当に自分たちが扱うめがねたちへの愛に溢れたお店だと感じ、めがねを見て話しを聞いているだけで楽しく過ごせるお店でした。

 

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その3

「そのめがね枠の良さを活かすレンズ選び!!」

 

ほしいめがね枠を選んだら、次に入れるレンズを選びます。

このレンズ選び、通常必ず言われるのが

・レンズの厚み(屈折率)

・レンズの歪み(球面・非球面設計)

これをどうするかということです。(他にも要素はありますが、代表的な要素として。)

 

 

厚みの方は、同じ度数のレンズでも屈折率が大きいもの選べば薄くできるので、度数が強い人は少し予算を追加して薄くした方が良かったりするわけです。

 

 

そして今回私の中で新しい発見だったのは歪みの方です。

通常、多くの店では見え方の歪み(レンズの周辺部における歪み)がより少ないとされる両面非球面レンズ(値段も通常こちらの方が高い)の方が「良いもの」として勧められます。

 

ごく単純に言うと、非球面レンズは名前の通りレンズが球面でなく比較的平らにできています。逆に球面レンズは球面でありカーブがついています。

 

 

実は今回私は気に入った一本を見つけてしまいリュネットプラスさんで一本購入することにしたのですが、ここでは、単純に上述のような勧め方ではなく、私が選んだフレームのデザイン(フロントのカーブ具合)を考慮した上で、そのデザインを損なわないカーブのレンズ(片面非球面・確か4カーブ)を提案していただきました。

 

 

要は、フレームのデザイン自体がある程度カーブがあるものに対して平らな非球面レンズを入れると、フレーム自体を多少なりとも変形させてしまい負荷がかかるとともにデザイン・見た目が変わってしまうというわけです。

 

フレームよって程度は違いますが、真っ直ぐ平らではなくカーブがついている↓↓↓

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確かに、フレームのカーブ(曲がり方)が少し変わると本当に思っている以上にフレームの印象が変わってしまいます。そしてめがねなので、顔の印象もかなり変えてしまうわけです。(経験済み)

 

つまり、自分が「これだ!」と思って選んだフレーム、自分に似合っていたフレームが、いざレンズを入れて手元に届くときには少し違うものになってしまう可能性があります。

 

 

 

そこで今回は、私くらいの度数(-3.5)であれば歪みの影響も少ないということも考慮の上でフレームのカーブを極力変えない片面非球面レンズを提案していただいたわけです。

 

加えて、店員さんがおっしゃっていたのは

「このフレームの作り手がどれだけ考えて、想いをもってこのデザイン・形にしたかを知っているから、それを小売店側としてできる限り崩さないように仕上げてお客様に渡していきたい」

ということでした。感動しました。

 

 

今まで両面非球面レンズを提案されたことはあれど、まさかそれ以外を一番の推奨品として提案されることがあるとは思っていませんでした。

 

 

もちろんレンズ選びはその人の目の状態(視力など)によって何が良いかが変わるものなので

「今回のような片面非球面を提案してくるめがね屋が良いめがね屋だ!」

などと一概に言えるものではない上で、

その人の目の状態だけでなくフレームのデザインを最大限保ちその人が気に入った一本がそのまま仕上がるように、作り手の想いも届くような提案ができるめがね屋は絶対良いめがね屋です。

 

逆にその人の顔に合わないめがねフレームを選んだりフレームに合わないレンズを入れてしまい、後から無理やりフレームの形を変形させることでそのめがねフレームの元々の形・デザインの良さや強度などを台無しにしてしまう場合が、量販店に限らず専門店などでも残念ながら少なからずあるそうです。 

 

 

 

 

その4

「最大限、見やすいめがねに!」

 

そもそも多くの人がなぜめがねをかけるか、「視力を矯正」して日常生活を快適にするためです。ここが最大の機能になります。

その補助としてかけ心地や見た目のデザインがあります。

 

つまり、その人に合った正しいレンズをめがねフレームに適切に装着することにめがね屋としての一番重要な役割があります。

 

具体的には視力測定や顔に合わせためがねレンズの加工の適切さです。

 

 

この部分は私自身まだ勉強中なのであまり網羅的には書きませんが、一つだけ良いめがね屋の具体項目例を書きます。

 

 

実はめがねのレンズには、レンズ全体の中でその度数通りしっかりと見える場所はたった一点しかありません。これは光学中心と呼ばれます。

 

この光学中心が「両目ともに」使い手の黒目の真ん中にきていないと、本来見たい視力と目の前のレンズの部分がずれてしまうので自覚があるかはさておき不快感が生まれ、眼精疲労の原因になるわけです。

 

 

そして、非常に残念ながら、人間の体は左右対称にできていません。

試しに鏡の前で顔の右半分を隠してみた自分と左半分を隠してみた自分を見比べてみてください。

もはや別人のような場合すらあります。(ちなみに私は顔の左半分の方がよりイケメンだと思っています。)

 

 

ということは、顔の真ん中、中心線からの右目と左目の距離も違い、高さも違うわけです。(ほとんど同じ人もいますが。)

 

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つまり、本来であれば当然めがね屋がめがねのレンズを加工する際にはその使い手の右目と左目の位置を測って、そこに光学中心がくるように加工してめがねを仕上げるべきなわけです。

 

 

が、しかし、非常に非常に残念ながら、特に素早くお渡しする量販店などの多くでは簡易的に右目と左目の距離だけ測って左右それぞれの差異は考慮せずレンズを入れます。

結果、本来より少し見えづらい、そして疲れるめがねとなります。

 

 

 

もちろん、リュネットプラスさんではしっかりと左右の目の位置を測っていただけました。

 

 

 

 

 

 

以上が、良いめがね屋さんに行ってみて改めて感じたポイントです。

 

 

私も仕事柄、そして実家柄、めがねの小売店はけっこう回っていますしめがねも10本ほど所有しているわけですが、こんなに良かったお店はなかなか無いです。

 

 

 

 

今回の体験の中から改めて強く思ったことは、使い手がめがねを選び、買うのはめがね屋さんであって、結局そのめがねフレームがどんなに良いものだろうとそれが活きるかどうか、真にお客様のためになるかどうかはめがね屋さん次第だということです。

 

そしてなかなか上述のような知識が消費者には行き届いていない中で、わかりやすい安さや早さばかりを目立たせたような店ばかりが流行っています。(これはここ20年の日本の不景気も影響していますが。)

 

 

ちなみに、私は前職は不動産業界関係にいたのですが、この構造は不動産業界ともとてもよく似ています。

 

住まい(めがね)を選ぶ際には、専門性が高く買い替え頻度が低い商材ゆえに本当に必要な情報や正しい情報が消費者に十分に届かず(=情報の非対称性)、見せ方がうまかったりずる賢い不動産屋(めがね屋)ばかり儲かり、業界全体が悪循環になりやすいということです。

 

 

ちなみに友人からたまに

「引っ越そうと思ってるんだけど、良い物件見つけるコツは何か」

と聞かれると私は必ず

「良い不動産屋を見つけること」

と答えますが、めがねについても私の回答は全く同じ(良いめがね屋)ものになります。

 

 

 

そのようなことを考えながら、改めて本当に良いものを作っている人たちや正しいことをしようとしている人たちの力になれることをしていきたいなと、良いもの・正しいことこそ評価され伸びていく仕組みをつくっていきたいなと強く思います。

 

 

その一つとして、これは前々からずっと考えているのですが、そして完全に前職の経験から来ている発想ですが、

「良いめがね屋を探せる情報ポータルサイト

でも作れないものかと思っています。

 

ちなみに不動産のポータルサイトは例えば以下(私の前職)↓↓↓

www.homes.co.jp

 

 

良いめがね屋の基準などなど諸々難しいことはありますが、消費者が

「良いめがねをほしいがどこに行くべきかわからない」

といったときにこれは本当に必要なものなのではないかと、本気で思案中です。

(現在の組織は直接その領域に手を付けるべきではないためやるなら個人的に、別組織などで。)

 

 

 

結果的に、ちゃんとした良いめがね屋が伸びれば、増えれば、そういうめがね屋は自然とちゃんとしためがねフレームを扱い、価格や取り扱いも適正に販売していってくれるはずなので、良いもの(めがねフレーム)を作っているものづくり企業も儲かるようになっていくわけです。

まさに好循環。

 

 

 

 

とりあえず、上記のような話も含め、そしてよりめがね産地のものづくりに対して直接的な話も含めて、2017年は2016年に暴れまわって築いた土台をもとに、一層エンジン全開でいきます。